少し前のことになるんだけど、『バベル』を観ました。
かなりよかったです。『アモーレス・ペロス』で相当信頼しており、つまらないはずはないと思ってたんですが、それでも期待を大きく上回る映画でした。
もっと絶望的な映画かと思っていたので(ストーリーは全然知らなかったんだけど)、救いのある内容に感動。
これは10代で観てもわからなかったな、ということが、この数年ほんとうによくある。『バベル』もそうで、そういうのが何によるところのものなのかというと『愛』ということになる。とか言ってもいいですかね。
もちろん『愛』ってなんだよと言われても答えはないんだけど、人ってひとりで生きているわけではないんだよね、ということはリアルにわかる。リアルかどうか、というのはほんとうにでかい。
10代の頃の私は、ひとりで生きて行くものだと思っていたし、自己実現のようなものに対する執着もそれなりにあったと思う。歳を重ねるにつれて、そういうのが息苦しくなったというのはある。
つまり、他者との関係性なくして発展はない、ということです。前も書いたけど。
で、そうだな、未来は開かれているんだよね、開かれている人にはさ。で、開かれているか、そうでないかを決めるものは、自分の中にしかないんだよね。
UAが何かのインタビューで「人は、今この瞬間から生まれ変わることができる」と言っていたけど、それは正しいと感じます。
しかし、私はケイト・ブランシェットが大好きで、ブラット・ピットが非常にどーでもいい存在だけど、そのふたりが同じ価値を持ってました、映画のなかで。これは凄いことだと思います。
そして菊地凛子は素晴らしかったです。というか、素晴らしくない人はひとりもいなかった。
何か、『アモーレス・ペロス』から『バベル』へのスケールアップについては、『ヴァージン・スーサイズ』や『ロスト・イン・トランスレーション』から『マリー・アントワネット』へのそれと同等の何かを感じる。
割と私のなかでイニャリトゥとアルモドバルが並んだかもしれないなー。
★
いっぽう、その次の日くらいにゴンドリの『恋愛睡眠のすすめ』も観たのですが、こちらはイマイチ。逆にこれこそ10代で観てたら凄い好きだったと思う。ある意味幸せな映画だし、うん、わかるよ……みたいなのはあるんだけど、今の私には切なすぎるというか、何か物足りない。
とおって来た道を振り返れば、そこにあるものという感じがしました。
ゴンドリは大好きだし、ガエルもシャルロットも好きだし、そういう意味では『好きになりたい映画』なのですが、もうこういうのはちょっと私にはお腹いっぱいですね、正直。
ミニシアター最高!みたいな考え方って、はっきり言ってもうどうでもいい。最もどうでもいいことのひとつだ。
そういうのを超越した存在として、蒼井優とか加瀬亮が好きだな〜、オレは。
あ、何か話がそれたけど、ゴンドリについては、『エターナル・サンシャイン』が最高。って、結局カウフマンなのかよと言われそうだけど、そこにスパイク・ジョンズも絡むと『ヒューマンネイチュア』みたいになってまた微妙。でも『マルコビッチの穴』は素晴らしい。スパイクとゴンドリが絡むとあんまりいいものができないような。
それぞれが好きです。
まぁそんな感じで。
そーいえばドリュー・バリモアとスパイクが付き合ってる的なゴシップを見たことがある気がしますがどうなんでしょうか?(いろんな意味でどうなんでしょうか?)
とか、安室奈美恵の新譜を聴きながら思い出してみました。ぬー。