書きたいことはたくさんある。しかし時間がない。そのうち風化してしまう。結局それって、その程度のことだったのかもしれない?そう思うのは非常に悔しい。全くもって、誰のためとか、それの意味とか、そんなことはたいしたことではない。というより答えはわかりきっている。
最近の私は忙しい。といっても、毎日徹夜とか、15分置きに来客があるとか、そういったことではない。比べるとしたら過去の私と比べるしかなく、そうして考えたときに、忙しくしているのは明白で、それは何だか上手く言えないけど、頑張れる忙しさなのです。
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さて。
ええと、最近、ってもうどこからどこまでが最近なのか、さっぱりわからないんですが、ここ1ヵ月くらいでしょうか?色々な出会いがありました。出会いというのは何も初対面に限ったことではなく、対面して、知らなかった世界で話をするということだね、大げさに言うと。もっと言うと本だったり映画だったり音楽だったりする。いやー、ちょっとテーマが広くなりすぎそうだから今日はやめておくけど、そのなかでひとつ感じたこと。
素敵なひとは、今を生きている。
ハイもう一度。
素敵なひとは、今を生きている。
何か書いてて自分で退いたので、確認のためリフレインしてしまいましたが、文字にすると非常に陳腐ですね。ちょっとしたJ-POPの香りがします。しねーか。
それで、まぁ、今を生きているという話。
今がよければそれでいい、という概念と、今を生きる、という概念は全く異なるものなのだということに、ここ1ヵ月くらい、感じ入っております。今を生きているひとには、今が良いか悪いかなんて判断は何の意味も持たないのですよねー。ま、具体的に言うと、岡本太郎の
「自分の中に毒を持て」とか、ラム・ダスの
「ビー・ヒア・ナウ」には、そんなようなことが書いてありますよねみたいな話なんだけど、結局どんなジャンルでも、そこの偉い人(とか神とか)って、おんなじ結論に達するわけなのですね。
今を生きるってのは、瞬間を生き抜くということです。いやー、実際私が今まで思ってた道徳とか心理とか真理とか心裏なんてものは、すごーく幼い、あさーいものだったのかもしれないなと思っちゃう。
とにかく感じ入っているのです。
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最近出会ったひと、のひとりに、手相を見てもらったんだけど、「会社で心をひらいてますか?」って言われてね。
それで、ひらいてるに決まってるわけですよ私としては。会社のひとにも友達にも同居人にも同じように接してるんだから。
でも、ちょっと考えてみて、もしかしたら誰にもひらいてないのかもしれない?という恐ろしい疑問が浮上してね。考えれば考えるほど、それってあり得るんじゃないか、と思えてきて。それはつまり、自分にも心をひらいていないということになるわけで、もうどうしようかと。
昔、自称快楽主義者の友達に、ストイックだよねと言われたことがあるんだけど、それには全然賛成できないの。だけど、うーん、自分にも心をひらいてない人間だから、快楽主義者には異質なひととして映るのかもしれない、と思うと凄くつじつまが合うな、とね。
感情のままに泣いたり笑ったり、そんなことが心をひらいていると言えるのだろうか。相手を肯定することが心をひらいていると言えるのだろうか。
全然言えない気がする。
さびしくてばかみたいでつまんない。あーあ。
今までの私ってなんだったんだろう。
でも、だからといって別に自分を責めるとか落ち込むとかそーいう訳じゃないのね。とにかくびっくりする、というだけで。これはひとつの例だけど、そんな感じで今までの自分の中での常識が、ここのところ更新されていっており、それが凄く心地よいのです。
で、解決策っていうか対応策っていうのが、今を生きること。なのだなって思っちゃうんですよね、どんなケースでも。最近。
何かまとまんなかったから、また書くかも。