加齢による肉体の変化というものを、この数年で身をもって実感しているわけですが。
20代(別に30代になったとたん劇的に変化するわけじゃないんだけど、便宜上20代/30代と表記します)のとき、私はあまりひとの年齢って関心無くて、それはつまり「老けているのは悪いこと」みたいな風潮がバカみたいだと思ってた、ということなんだけど、今はちょっと変わってきています。そう思わなくなったということではなく。
何というか、結局外見って内面が表に現れるもので、例えば10代のとき凄い美人だったとしたら、それは遺伝子とか血統とかによるものじゃないですか。でも25過ぎる辺りからだんだん生き様が顔に出る。それは男でも女でもそうなんだけど。そういう意味での外見にしか、もともとあんまり興味ない。造形より表情を見るのが好きです。
で、20代のときはここ止まりだった。
でもねー内面だけじゃないのよねーというのが30代のオレの気持ちなのです。加齢による(外的要因による)変化というものが、間違いなく存在する。身体のラインや肉の付き方などが、20代のときとは大幅に異なるのは、食べ過ぎで脂肪が付くとかいう次元では片づけられない問題なのだということがしみじみとわかります。
脂肪の種類が違う。
あとは肌の質感ですよね。ハリとかキメとか、フレッシュな攻めの肌ではなくなります。
例えばキャメロン・ディアスとかケイト・モスとか同世代だけど、凄いわかりますもんね、写真見ただけで。昔と肌が違う!というのが。んでそれはそのまま私の現在←→過去にもぴったりリンクする。実感としてあるというか、リアル。
で、やっぱり20代のときは、そういう微妙な肌の変化というものにはあんまり敏感じゃなかったように思うんですよ。シミとかシワとか、わかりやすいものには目が行くけど。
そういうのを特に感じるのは、メイクをするときです。
20代のときはメイクってやっぱり「着飾る」というか「表現」というか、どれだけきれいな色をのせるか、どれだけきれいなラインを書くか、造形や色彩、そういったことに固執していたように思います。実際VOGUE見て真似したりするのが楽しかった。でも今はそうじゃなくて、引き算が必要だし、必要なアイテムが変わってくるというか。
人間は、対象物を見たときに、色→形→質感の順で情報を読み取るのだと、教わったことがあります。
加齢による肌や肉体の変化っていうのは、やっぱり質感の部分なんじゃないかな、と思う。リアルなのはね。いくらボトックスしてもレーザーしても、質感の変化には抗えない。結果、サイボーグみたいになってしまうこともあるというわけです。
あとは、20代と30代で同じメイクしてちゃダメだという話。
昔オバサン(50代後半以上)ばっかりの土佐料理屋でバイトしてた折。
私がヌード系のリップアイテムなんかを使うと「若い人はそーいう色が似合っていいわねー」と言われたことがあり、そのオバサンはべったり真っ赤な口紅を塗ってるわけですよ。こっちからしてみれば、真っ赤がべったりよりもよっぽどヌード系のほうが、このオバサンに似合うんじゃねーか?と思ったものです。
でも、今ならわかる。
真っ赤をべったりも立派に変だけど、20代と同じ塗り方でヌード系を使っても、やっぱり変なのだと。
太田胃散のCMがあると思うんですが、優香と南野陽子が並んでるでしょ?同居人が「ふたりの年齢差をあまり感じないね」と言っていて。つまり南野陽子が若々しくて、優香は大人びている(むしろちょっと疲れてる?)と。
でもね、このふたりのメイクをとりかえっこしたら、そりゃもう偉いことになりますよ。
ある程度歳を重ねた女性には、フレッシュな質感が必要で、色彩や形状でもってそのイリュージョンをつくりだすというのが、有益なメイクなんですよね。だからこの南野陽子のメイクは凄く上手いと思う。色彩や形状をそのまま乗せるのでは、もう足りない。誰かの真似をするような年齢じゃないのだから。
質感を生み出さないといけないんだな、と思います。
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しかしやっぱり「老けているのは悪いこと」みたいなのには反対で、むしろバカじゃねーのと思うより、そんな考え方は勿体ないなという感じで。よく20代の子が10代を若くていいなとか言うじゃないですか。そーいうの、ほんと勿体無い。
以前同居人に「たまには高校生と付き合ってみるというのは?」と聞いてみたところ「それは高校のときにやったからいい」と。
そういうことだと思います。
今を大切に。
そして基本的に加齢は楽しむというか、味わうものだと思います。
そのためにも大事なのは健康ですな。
何か日和った結論でごめんあそばせ。