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責任のない希望なんて、なんだろう



 編集ページがかわっててびっくり こんにちは



割と最近、蒼井優が出ている映画を2本観ました、いや3本観ました。
素晴らしい!ってのはいっこもなくて、どれもそれなりに不満が残り、ひとつは不満しか残りませんでした(ヒント:みるめくん)。

蒼井優に不満があるわけではもちろんないのですが、現在の蒼井優の取り上げられ方に若干の違和感を感じているのも事実。それは青田買い精神や父親根性といったものとは無縁の感情で、感情とすら呼べない客観的なものです。
上手く言えないけど、役者というフィルターで見た場合には、私は蒼井さんと二宮くんの鉄コンコンビを応援したいと思います、ハイ。





でまぁ蒼井さんはともかく、という話なんですが、なかでも良いところがあったのは『百万円と苦虫女』なのかな。というのは、人間の汚いところをちゃんと描いてたから。それは悪意とか罪の意識のようなわかりやすいものではなくて、人って結構ナチュラルにダサイしドロドロしてて冴えないよね、ということなんだけど、そういうのがちゃんとベースに敷かれてた感じで。

また嵐の話になっちゃうんだけど、多分一部の純粋な人を除けば、芸能人なんかを好きって気持ちはかなり無責任だし移ろいやすいよねと最近すごく思う。今これだけ松潤松潤騒いでいる人が、20年後に全く同じテンションを保ってるか?という話で、もし保っている人が居たとしたらそれはかなりの聖者というか何というか、まぁ知ったことではないんですがちょっとした偉業ですよね。

という、人間の虚しい儚さ。というのを考えて何か愕然としました。

そうすると人間なんて、ざっくり見れば万国共通で、仕事して家帰ってご飯食べて寝て、家族が居て親子があって、或いは友達なんかが居たりして、泣いたり笑ったり一喜一憂しながら生きていくわけですよね。で、そこには当然欲によるドロドロしたものがナチュラルにあって、性欲であるとか物欲であるとか食欲であるとか……、そういうものの結晶として色々なものがあるんだよねということを、何となく忘れがちだなと。
それはドラマティックにバーン!ってものとは限らなくて、極限はジャニーズや殺人やいじめによる自殺みたいなことだけれども、多くはもっと日常のありふれたものであったりする。

そういうのを『百万円と苦虫女』は描いていたなと。
農家の寄合いみたいな場面があるんですが、そこで特にそういうのを感じましたね。都会への羨望と田舎のプライドが合わさってるみたいな。
「都会のもんは、スローライフとか言って都合のいいときだけこっちを向いてくる。こっちは遊びでやってるんじゃねぇんだ」といったよーな台詞がありまして、ほんとにこういうこと考えてる農家の人は沢山いるんだろうなと。どっちが偉いということは無いけど、こういうことを言ってしまう時点で上下関係が生まれてしまっているというか。もちろん同業で今のスローライフな波に乗って、一儲けした隣の農家への妬みとかもあるかもしれない。大地が好きで、自然が好きで、農業が好きで、っていうニコニコした気持ち100%であり得るはずがないよなと考えてしまう。

同じオーガニックの野菜を使った料理でも、都会のマクロビカフェのオードブルと、田舎の家の郷土料理では、受けるものが全然違うんだよね。前者はドライでスタイリッシュだけど、後者は何かベタベタしてるんだよ。素直に美味しいと言えないこともある、それはどうしてなんだろうね。まだ上っ面でしかこの世界を見ていないのかな、と実際反省したりもするわけです。

とはいえ、私が田舎暮らしを営むことはあまりないような気がします、今後も。



というわけで、残念ながらこれって映画に出会わなかった最近、触れたものでいちばんのおすすめはこちら。



世界を信じるためのメソッド―ぼくらの時代のメディア・リテラシー
森達也

このなかで、ヒトラーが言ったとされている言葉が紹介されています(実際ネット上にもあります)。
--
青少年に、判断力や批判力を与える必要はない。彼らには、自動車、オートバイ、美しいスター、刺激的な音楽、流行の服、そして仲間に対する競争意識だけを与えてやればよい。青少年から思考力を奪い、指導者の命令に対する服従心のみを植え付けるべきだ。国家や社会、指導者を批判するものに対して、動物的な憎悪を抱かせるようにせよ。少数派や異端者は悪だと思いこませよ。 みんな同じことを考えるようにせよ。みんなと同じように考えないものは、国家の敵だと思いこませるのだ。
--

日本に生まれたというだけで幸せだ、と言ったのは誰だったかな。


Posted by Ayana * comments(0) * -

for maria



for maria



忘れたくない。mariaのことを忘れたくない。イメージやムードに流されて偽善的になってなんとなく痛みが心地よくなってきたら、それは変質してしまったということだ。それだけは絶対に回避しなければならない。/2008.07.18 14:37


って、書いていた。私は。メモとして。(Twitterではなくてログピを気が向いたときに使ってます)

それなのにその日会場に着いて、席に座って暫くするまで、そのことを忘れてしまっていたように思う。
「そのこと」が何を指すのか、というのは明確に説明することができない。だけどそれは確かにある。といったようなもの。何かを守りたいなんて思ったのはもしかして初めてかも知れない。というくらい、とても不思議なのだけど、mariaのことは私にとってめちゃくちゃ大きい。
何故なんだか、それはほんとうにわからない。
「そのこと」を忘れてしまっていたことに気が付いてすぐに、mariaの「断片」を編み込んだ作品が始まった。池上さんとevalaさんとmaria。続いて悠治さん。カールステン・ニコライ。そして渋谷さん。

mariaの誕生日でもあり、ふたりの結婚記念日でもあるこの日。
とにかく、渋谷さんの精神力には頭があがりません。

何よりも良かったのが、mariaに捧げるだとか、mariaの思い出だとか、そういう視点では全くなかったこと。そこは「mariaを思う」空間だった。「今」だったし、「瞬間」だったし、或いは「永遠」だったのかもしれない、何かにおける永遠。
最初のトラックだけではなくて、全体がmariaの断片でできていた、という感じ。時空は無かった、そこには。

渋谷さんがmariaを指差したときが、ああ、ほんとうにとんでもないな、という気持ちの頂点で。天使みたいに上から見守ってるような場所にmariaの写真/映像を置いていたんだけど、あいつ!って勢いよく指差す、そこにはリスペクトや「このやろう!」や愛情や……。色々なものが込められていたのだと思う。
ありがとう、とかおめでとう、とか愛してるよ、とかmariaに語りかけるのではなくて、こいつがmariaです!mariaに拍手!みたいな感じで。

上とか前とか、そういうことではないのだけれど、後ろを見てはいけないんだな、と強く思った、何というか。

もっと話したかった、とかこうすれば良かった、ああすれば良かった、そういうことって沢山ある。だけど、やってない時点でそれは何の意味も成さない、その時にやらないと駄目なんだよ、ということを渋谷さんは私に教えてくれた。し、まさに今回ってそれが体現されていたな、と思う。
単純で複雑。というのは本当に言い得て妙すぎて、何だか泣けてしまう。

改めて。
絶対に忘れたくない。断片の数々を、そのままの形で。





私にとってのmariaってこんな感じかもしれない。
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「セルフ・サンプリング」

MEGUMIが妊娠でどーのこーの、という話題から。
私と長く付き合っている人は御存知かと思いますが、私はDRAGON ASHが本当に許せないと思っていて、というのも数年前に「I LOVE ROCK'N'ROLL」をパクった「I LOVE HIP HOP」というふざけた曲を出したあとに「Greatful Days」で「today」をサンプリング、まぁ他にも色々やっているみたいですが、いずれも原曲への冒涜というか。
そーゆー精神が。
しかも「無断でコピー(カバー)してますよね」との指摘に対し「カバーじゃなくてサンプリングだ」とか答えていたらしいです。

まぁそんなこんなでサンプリング時代ですよねー。
どこまでがコピー(パクリ)?どこからがサンプリング?芸術で上手く廻るしくみなんて書いておいて、舌の根も乾かぬうちにという感じですが、今の世の中腐ってますよね、という話です。とはいえパクることそのものがどうのというのではなくて、私はこういう問題のときに何よりも大切なのはリスペクトだと思っています。だから何処にムカつくかというと「使った」とかいうことよりも「カバーじゃなくてサンプリングです」という白々しさに対してなんですね。

アパレルでは完コピも珍しくない今日この頃といった感じらしいですけど(しかも、やってるのは109レベルのブランドなんかじゃないんですってよ!奥様!)、最近それにも増して強く感じているのは自分サンプリングとでも言いましょうか。究極の屍みたいな成れの果て系の現象について。

発端はアン(ANN DEMEULEMEESTER)が今季「holy」のタンクトップをリバイバルで出しているという話です。忘れもしない、ギンズバーグの詩をパティ・スミスが歌う97年の「spell」をバックに流したコレクション、パティもアンも好きな私としては欲しいアイテムでしたが、店に行ったらメンズしか残っておらず断念した想い出。ちなみに店はアドバンスド・チキューなんだけどね。オリゾンティだよ、今思うと。
で、当時そのタンクトップは6,000円だった訳ですよ。今店頭にあるのが15,000円。あほか?まさか、サブプライムの影響とは言わせないよ。それでもえー、アンが15,000円で買えるのお、ウレシー。みたいなことなんでしょうか。世知辛い。当時6万だったマルジェラのウエスタンブーツが15万で再発したときのショックと似たような感じなんですが、こーやって、昔の栄光、じゃないけど、リバイバル、みたいなことって何か行き詰まっちゃった?もしかして。と疑いたくなるというか。某人達がサンプリングやりまくっちゃう感覚と近いのかなーとか思ったりします。
自給自足で誰にも迷惑かけてない訳なんだけど、その白々しさが空しい。

holyのタンクトップ復刻を喜ぶ人がどのくらい居るのか、知りたいもんであります。
ウソ。やっぱ別に知りたくない。私はもちろん買いません。


30代女性を視野に入れてるってことですか




先日旦那と「バンドの再結成ってどーなのか」みたいな話になりました。ピストルズにツェッぺリン、スライ、続々微妙な再結成をしているわけですが、旦那としてはそーいうのが凄く格好悪いと言っていて、非常に同感だなぁと。
そこから「再結成してほしいバンドってあるかね」という話になったのですが、結局そんなものはないよね、という結論に。
例えば別に、どんなに好きでもRODANとかROYAL TRUXが再結成したら退きますよね、実際。確実に。

そーいった再結成の「やっちゃった感」と、
バカみたいなひとたちのサンプリングの「やっちゃった感」と、
リバイバルholyタンクトップの「やっちゃった感」。

いずれも、寸分違わず同じものかと。

ほんと、バンドを解散した後、その人が何をするか。そこに美学や信頼度のバロメーターのようなものがあるのであって、非常に興味深いです。そこで加奈ちゃん(PRINCESS PRINCESS)はいいよねという話になったのであります。ハイ。
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MADE IN SHIBUYA, MADE IN JAPAN



深夜までやってるアヤナの好きそうな本屋があったよ、と旦那に教えられたのが半月くらい前だろうか。
ようやく行ってきました。
その名はSHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERS

さすがに旦那は私の好みをわかっているようで「どうせ長居するから先帰るね」と言い放たれたオレは、夜の11時あたりから、結局1時半くらいまで長居。これだから本屋は独りに限る。ちなみに滞在中に携帯で写真を撮っている人、数知れず。この店の雰囲気をなんとかして写真におさめて、みんなblogにアップするんだろうナァ。なんて思いながら舐めるように立ち読んでいたオレ。結局以下4冊をお買い上げ。

・『神さまがくれた漢字たち』 白川 静 監修 山本史也 著
・『こどものためのドラッグ大全』 深見 填
・『日本という国』 小熊英二
・『PURPLE』(ってここで買う必要があったのかは疑問ですが)

あ、町田康の『告白』買うの忘れたわ。



本だけを、ていねいに取り扱っている空間という印象でした。こういう店って、東京じゃないとできない、たぶん。
COW BOOKSとTOWER BOOKSとVILLAGE VANGUARDを5:3:2で混ぜたのを、あたたかくミニマルな空間に並べてみましたみたいな感じです。しかし音や雑貨は皆無で本のみというところが潔くて好感。そして海外ものの比重が低い(洋書という意味ね)のも非常にいいなと思いました。

最近私の中で凄く大事だと思っているのが(今年の密かなマイテーマだとすら思っているのが)『日本』ということ。
私は日本人である自分とか、日本という国だとか、そういうことについて全然無自覚で、今まではそれがいいと思っていたきらいがあるんですね。ワールドワイドにいいものを探すニュートラルな目みたいなものを目指していたのかもしれない。
それってJ-POP聴きません!みたいなことの真逆だし(好きな音楽は洋楽、みたいな答え方をする人は格好悪い人ベスト10に入ると、高校のときより思っております)、自分が基準みたいなことです。日本も他の国も贔屓しないというか。日本文化に傾倒している友達も何人か居たなかで、フーンくらいにしか思っていなかったオレ。

そんな私が何故今更、日本?
と、自分でもやや面白がっているのですが、たぶん、結婚したことってのがトリガーみたいになっているんだと思います。自分のルーツみたいなものに興味を持っているのかなと。それは決して後ろ向きということではなくて、はて、私が未来に残せることは何かいな、ということの表れなのだろうなーと考えています。
昔母親が、そのまた母(つまり祖母)の家訓みたいな本を探り当てて感動していたことがあったのですが、全然意味わかんなかったんですね当時。今ならわかるかもなーと思います。

んで自分の過去とか前世とか親のどーのこーのとかそういうのも勿論興味あるんですが、回帰、みたいな感情ではないし、何を残せるか、というところなので『日本』なんですね。何を守らなければいけないのか?
愛国心なんてさらさらないし、国家ということについて全肯定するつもりもない。だけど日本の文化とかこころ、みたいなものを早急に見直したほうがいい、そういう気分なのです。
松岡正剛の影響ももろにあるのだけど。

今デザイン業界っていうか……。そういう界隈でも『MADE IN JAPAN』みたいな概念が流行してますよね。それは悪くないことだと思います。匠の技的な。食べていけなかったり、後継者が居なかったりして仕事をたたんだりしているところに、こうこうこんなビジネスをやりませんかと。
全くの善意かもしれない、もちろん
でもそこには非常にデリケートな、注意深くなければならないものが潜んでいる。接するのは、やっぱりちゃんとした日本人か、それか若冲のコレクションしてるプライスさんみたいな外国人か、どっちかでなければならないと思う。
つまりは、作り手へのリスペクトと概念の共有ですね。そこはていねいに行ってゆかなければならない。
オーガニックとかエコとかエシカルとかそのへんについて私が思うのも、そういうことです。



そんな訳で、本というものにていねいで、行き届いていて、しっかりと出汁をとったうどんのような、さっぱりとしたのどごしのSHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERSはとても頼もしい存在だなと。

長居の後は円山町ラブホ街をいい気分で突っ切り(asia周辺に溢れるB-BOYたちを眺めながら)、道玄坂のFRESHNESS CAFEで朝の3時半まで読書して、タクシーで帰宅。
素晴らしい休日って、こういうもんです。

ってか3/22はUPLINKに行かねば。
Posted by Ayana * comments(4) * -

i'm not a 'fair trade' bag ?



ちょっと出遅れた話題ですが。
とうとう日本でも14日に発売となった、アニヤ・ハインドマーチのI'm not a plastic bag。

みなさんゲットしましたか?

私はこんな騒ぎになっているとはツユ知らず、普通に気になってました。かる〜い気持ちで。
DOVER STREET MARKETで販売予定ということだったので、先日行った折に予約状況など店員さんに訊いたところ、予約は一切受け付けていないと。さらに、既に発売済みの海外ではもう信じられない騒ぎで、香港では当日2000人の列が出来たり(当然徹夜組も)、世界中でパニックが起こっていると。日本でも凄いことになると想像されるが、うちは20部くらいしか入荷しないので、欲しいなら伊勢丹やアニヤの銀座店などで並ばないと難しいと思う、とのこと。

それを聞いて一気に悲しくなりました。
「へぇ〜。香港の人はエコ意識が高いんだなぁ!」みたいな方向はとりあえずないですよね。
この腑に落ちない感はナニ?というか。
メディア(私の情報源、主に雑誌でございます)でやたらキーラ・ナイトレイ(=セレブ)が持ってる写真が乱用されてるなぁと気にはなっていたんですよね。いや、もちろんそれもアリなんだけど、それだけってのはね。
このバッグを使うことによってどうなるの?そもそもどういう目的でこのバッグは作られたの?その辺がよくわからないんだな。ほんとうのエコバッグだったら、限定なんかにしないですよね、普通。もっと、メッセージを伝えればいいのに。国によってロゴとパイピングの色が違うとか、誰々が持ってるとか、アカデミー賞のアフターパーティのお土産になったとか、そういうのもいいけど、それだけじゃ全然エコじゃないじゃん。ヤフオクで1000円スタートの6万円落札ですよ。んな金あったら募金しろーーーーー!
(ま、募金がいいかどうかってのはひとまず置いておいて。)

泣きそうです。

意外とみんな、エコとかどうでもいいんですか?

こういう事態になってしまったのは決してアニヤのせいだけではないと思うけど、先般のVOGUE×PEOPLE TREEのコラボの件とかと比べると、明らかにやっちゃった感があります。
その違いって、やっぱりフェアじゃないということ。
どうして2000円なのか?もちろん、多くの人に使ってもらいたくて、買いやすい価格を考えてコスト削減して、その結論としてのMADE IN CHINAを100%否定する気はないです。
でも、それなら数量限定は矛盾してますよね。
結局どうしたいの?みたいなとこがクリアじゃない。

意味のあることには等価で支払われるべきだし、それがわからない人には、じゃあどうやったら解ってもらえるか?というところから考えていかなきゃいけないと思う。
エコがファッションになってしまってはいけない。
エコなファッションはありだけど、エコはファッションじゃない。ライフスタイル(というかライフそのもの)であるべきでは?



ここはどう思っているんですかね。

結婚パーティの引き出物をエコバッグに入れようかしら?と本気で思案中。

長くなったので続きはまた。
Posted by Ayana * comments(9) * -

BE FAIR



いやはや、これを知ったときの衝撃といったら!

いったいこの『コラボレーション』という概念はいつから始まったのだろうと思う。もう思い出せないくらい昔だけれど、その頃は特別なことだったような気がします。少しマニアックというかね。
今ではどの世界でも当たり前になっていて、次の段階に入っている。つまり、コラボレーションのやりかた、方法が問われる、そういう時代ですね。今のところ代表的なのは、リーズナブルなブランド(スポーツ含め)がハイエンドなデザイナーを使うという考え方。H&Mをはじめ、TOPSHOPやUNIQLO……などなど、お国柄で特徴は色々だけれど、殆どが成功してると思います。(一方、スポーツブランドでは断然adidasで、ステラもY-3も上手いと思うのですが、他はいまひとつパッとしないですね。特にPUMAなんて、コラボ相手は悪くないのに何となく冴えないのはどーしてなんだろう?)

ものづくりなんて、殆どがコラボレーションだ。という考え方もあるでしょうけれど、私はそうは思いません。
個人の精神的充足とか人との繋がり。ココロとカラダ、思いやり。愛。とか。はたまたカッコイイ、クールだよね!カワイイ!最高!な感嘆符。
多分人生において最も必要なものたち。
これが『目的』になってしまうとまずい。それは方法であったり、過程や結果や報酬であるべき。まぁこれはものづくり全般の話かもしれないけど。

で、前置き長過ぎなんですがPeople Tree for VOGUEです。
コラボレーションの方法が問われる現在において、方法を飛び越えて『目的』までも共感できるものにしてしまった、ここがこのプロジェクトの凄いところだと思うんですね。今までは、リーズナブルなのにあのデザイナーの服が着れる!みたいなものか、あそことあそこがコラボなんて意外でクールだね、くらいのものしかなかったところを、今回その上をいってしまっている。
というわけで、先日T H A K O O Nのぺタルスリーブドレスを購入してしまいました。満足。
ファーストコレクション(アナ・ウインターがどーのこーの、のやつ)がいちばん衝撃度高かったけど、THAKOONはNYの中ではかなり好きなほうです。


こういうのとか。



川久保玲とミウッチャ・プラダを敬愛しているらしいです。わかるわー。





KATE MOSSのラインは5/1に本国イギリスで発売になったみたいですね。
TOPSHOPのフェアトレードラインも気になります。とっても。

そう、やっぱり決してヒールを履かないフェミニズム運動家や、食品添加物を全否定するベジタリアン、パラベンや界面活性剤を憎んでいるオーガニックコスメマニアなど、そういうのってあんまり美しくないし(もちろん身体が反応をおこしてしまうとかいう場合は別ですが)、楽しくて幸せでかっこよくて笑えて、っていうのは非常に大切。
とはいえ、それはあくまでも受け手の視点。作り手のほうでそれが100%になってしまうのは、前途のようにあまりよろしくない。けれども、受け手のココロがわからない作り手なんて意味ないし、作り手のココロを誤解している受け手はもう、目も当てられないという感じです。

もう何度も書いてるけど、二極化して他方を否定(または、相容れないものとして認識)する事は非常に馬鹿げていると思うのです。
その代表的なものが性別なのではないかと。

なんかよくわかんなくなってきたから終わります。
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スキーもボードも興味ないですけど、



そんな私でも、今年の冬はヤバイという実感があります。
○○
●●
正確には一昨年に淡路島に一人旅したときに見た風景(異常気象による木々の褪せた色)がかなり残っています、心の底に。

できることは、やりたい。
つくづく、大事なのはバランスだと思います。



最近思うのは、仕事とプライヴェートのバランスについてです。
やっぱり片方だけに固執してずーっとやってきてしまうと、もう片方ができなくなってしまうんだなーって。
もちろん仕事とプライヴェートの境目がない人、という存在もあるよね、考え方としては。私だってできればそこを目指したい。でもそう見える人って、やっぱりどこかでバランスを上手く取っているのだと思う。人一倍努力もしていると思う。

地球とか社会とか愛とかそういうことをライフワークとしていきたい、みたいな雰囲気だった年明け頃の俺ですが、じゃあそれをビジネスとして形にしていくカクゴはできてんの?と問われたら、確固たるYESが口から出るかっつーと、やっぱり疑問なのだよね。まだ甘いんだ、ムードで語ってるだけで。
そーいう実感が、転職してからというものかなりあるのです。
結局、私は後者(プライヴェート)に重きを置いて今までを生きてきた訳で、いろんなことってそれへの言い訳なんだなーとしみじみしている次第でございます。

しかし、ここで終わってはいけない。あたりまえ。
気付ける場所まで来れたことに感謝しつつ、前を見なくては。

先日友達と話していて「私たちがやってることは男と同じだから!」と言われて愕然としたんですね。社会のなかで対等に、自分の足で立とうとしている女性は、何だかんだ言ってまだ少ないのかもしれない。もちろん、どっちが上とか下とかいう話じゃなくて、もっと本質的な話です。役割というのかな。
別に女であることを否定しないというか、全然肯定しているんだけど、やっぱりどこかで中性でいたいのかな。(だからそのカクゴはできてんの?って話なんだけど……)
ま、きれいごとではすまされない世界を、なるべくきれいごとで生き抜きたいという話でございます。円山町のしみったれたラブホテルから昼下がりに出てくる中年カップルみたいにはなりたくないの!(イメージ)

ちなみに話してたときの名言『全身BEAMSは偏差値50』


……何か話がそれたけど、一番言いたいのは異常気象のことなので!
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神はいるか?と訊かれたら……


「俺はね、『嫌い』って答えるんだ」と、killieのベースの方が仰ってました。こないだの新宿JAMで。
BALLOONS最後の1曲からkillieまで見たんだけど、AKUTAGAWAも見たかった、凄いかっこよくない?AKUTAGAWAってバンド名。DAZAIとかMISHIMAじゃこうはいかないよね(羅生門の芥川から来てるのかは知る由ナシ)。
ていうかWHAT EVER FILMがめちゃくちゃかっこよかったんですけど。吃驚しました。ENDZWECKは1コ下という印象のバンドで、特にふつう。

1コ下というのは、誤解を恐れずに言えばメロコア以降ということです。まぁPIZZA OF DEATHでもいいんだけど。しかし1コ上とか1コ下とかグランジとかハザマ世代の話は長くなるので今日はヤメ。

んで、神はいるか?と訊かれたら。

私はずっと『YOU ARE YR OWN GOD』の視点でしたが、最近はさすがにそうも言ってはいられなくなりました。歳取ったということだと思います(文中『歳取った』『もう若くない』的な表現が近年増えてますが、基本的にネガティヴな意味は全くなくてむしろその逆です)。
あと一人っ子だから---ていうのは去年の村上春樹あたりの日記にも書いたんですが、もっとあいまいな、でも絶対的な、よくわからないようなものに動かされているという感覚があると。それは場数を踏んでわかってきたことなのですけど。
ただそれが神かと言われると、ちょっと考えてしまうというか。感覚としては絶対的なんだけど、存在は明確ではない。複合的なものだし、その都度変化するというか。もっと『運』とか『縁』とか『才能』のようなものにちかい。だから結局『YOU ARE〜』ということなのかもしれない。
でも自己完結とかいうことでは絶対になくて、今生存している人そうでない人、これから生まれる人、さらには人に限らず、さらには生命体に限らず、そういうすべての力によるものだと思う。

あとねーめっきり『嫌い』な対象が減ったなと。歳を重ねるごとに。前はなんかもっと「いつも怒ってるよね」とか言われてたような?(実際はソンナコトナイヨ)
でもそれは丸くなったとかいうことではなく嫌いになっている暇がないということだと思う。あ、それが丸くなるっていうことなのかもしれないけどねー。

そう。
嫌いになるには、好きになるかそれ以上のエネルギーを要する、意識の度合いとしては、好きより高いかもしれない、あるいはね。
エネルギーを使うわけです。
好きと嫌いは責任の重みが違いますから。好きにも色々あるけど、やっぱり少なからずフワフワしてるし楽しいものだよね。辛いだけの好きは嫌いに限りなく近いと思います。っていうかそれが嫌いということなのかもしれない。

まぁ、許すとか認めるとかそういう言葉を100%真顔で使用するようなオトナには絶対になりたくないというのが今日の結論です。
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あ、あとこれ

興味の有る方は御協力を。
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インディペンデント/メジャー



主義や主張を持つのは別に、いいことでも悪いことでもない。
当たり前のことでも、めずらしいことでもない。
操っても、操られても、あまり具合がよろしくないし、
独り占めしても、啓蒙に熱心になっても、危険がつきまとうものだ。

と、思う。

別に『主義』なんて大仰なものでなくても、そういうものは日常生活の至る所に存在する。
例えば恋愛。
好きという気持ちが大事な人。『つきあう』(或いは何らかのゴール)までが大事な人。むしろ先にゴール(例えば『結婚』)が設定されている人。この人を幸せにしたいという使命感に燃えている人。
色々居ると思うけれど……。
長い間、私は『好きという気持ちが大事』な人でした。好きと思ったら相手にそれを伝えるけれど、別に相手に何を求める訳でもないみたいな感じでしょうか?
で、それでいいと思ってたんですよね。

でも違う、それは。

持っている思いがある。恋愛感情だったり主義だったりという。
それを押しつけるか、自分の中だけで大切にしておくか?
恋愛で言えば「どうしてもつきあいたい」か「好きという気持ちが大事」か。
宗教で言えば「良かれと思ってひたすら説く」か「良く思われないのを避けるため黙っている」か。
その2種類しか無いように、若い頃は思っていました。という話。

でも違う、それは。

何て言うんですかねー相手との関係性無くして発展はないというか。
あ、良いこと言った。
相手との関係性無くして発展はない。

関係性ってのは(殆どの場合)瞬時に決まるものではない。
育てていくものだ。
一目惚れで最高の相性、という可能性は勿論存在する。だけど、よくあることではない。というか、期待するようなものじゃない。同じように、100%傾倒できる主義があるなんて思わないことだ。
相手があって、自分があって、色々と混ざり合って、新しいものが出来ていく。

100人いたら100通りだし、その『100種類』は、きっちり境界線が引かれたものではない。というかあってはいけない、と思う。それぞれがそこにありながら、絶えず混ざり合って発展していくというのが、気持ちの良いあり方だという気がする。

否定か肯定か、その2種類だけというのはとてもさみしい。
さらにその主張を掲げて群れるのは非常に切ないことです。
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